山谷ブログ-野宿者・失業者運動報告-

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zoom RSS 竪川河川敷公園からのメーデーアピール

<<   作成日時 : 2013/05/01 19:31   >>

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【リード文】
 私たちは東京の東側にある竪川河川敷公園という公園で野宿しています。竪川
河川敷公園は、川を埋め立てて作られた公園です。高速道路の下に伸びていま
す。私たちはそこで小屋を立てて暮らしています。2012年には、野宿の小屋に対
して2回の強制排除が行われました。公園の水道が止められ、トイレは改修工事
を名目に4ヶ月間の使用禁止を経て現在は夜間の使用ができません。改修工事が
終わった公園は、夕方6時から朝8時まで鋼鉄製の門で閉鎖されています。私たち
の住むエリアは高さ2mの鋼板で囲まれ、閉じ込められています。このような状況
で、私たちは2013年のメーデーをむかえます。このアピールは、排除とたたかう
世界中の仲間たちに向けた、連帯をよびかけるための文章です。

【日本における日雇い労働者→野宿者の状況】
 1960-70年の日本では高度経済成長の時代、大量の日雇い労働者が生み出され、日本各地で建築や土木の工事に従事しました。日雇い労働者は、大都市の寄せ場といわれる地域に集められ、何千人もの人々が、毎朝手配師を経由して寄せ場から仕事に行っていました。地方から都市への労働力の移動がその背景にあります。「金の卵」と呼ばれ、集団就職で都市の工場や商店に就職した若者たちも多くいましたが、日雇い労働に従事した人々は、もっとも劣悪で危険な条件での仕事につきました。

 日雇いの人々は、飯場と言われる労働宿舎に住み込み働きました。労働現場と居住が一体となった飯場では、無権利の労働や賃金の不払い、支配者による暴力が発生することが多くあります。この飯場は、第二次世界大戦敗戦までの日本の植民地支配の元での、主に朝鮮人や中国人に対する労務支配にルーツがあります。

 日本経済は1980年代前半に円高不況、80年代後半のバブルとその崩壊を経験します。90年代に入ると、バブルの崩壊と、産業構造の変化、日雇い労働者の高齢化などが要因となり、多くの日雇い労働者が飯場からはじき出されます。ドヤに泊まる金を稼ぐことも難しく、人々は路上にあふれました。そして、寄せ場から周辺の公共空間(公園や河川敷など)に小屋を立て、野宿するようになりました。日雇い労働者だけでなく、工場労働者やサラリーマンとして働いてきた人々も、野宿の小屋を立てました。東京の主要な公園のほぼすべてにテント小屋が立ち、埋め尽くされる事態となったのです。これはまったく自然発生的な占拠でした。

 このころの日本の福祉政策は、住まいを失った人々を暗黙のうちに排除していました。住民登録がない人々は、65歳を越えるか、病気で倒れ救急搬送されでもしない限り、生活保護を受けることはできなかったのです。では失業対策の事業はといえば、これを行わないというのが国の方針でした。これら社会福祉制度からの全き排除と行政の無策の中、貧者が自らの力と相互扶助によって命を守り抜いた、それが野宿の小屋でした。

 2000年代のはじめには、小泉内閣による新自由主義的な政策が強行され、規制緩和の名の下に不安定就労が増大します。労働法が改悪され、特に若年層の間で派遣労働がはびこるようになりました。このころ、「日雇い労働や寄せ場的なものが社会全体に広がった」という言い方がされたりしました。福祉施策を準備することなく企業福祉を切り捨てるという極めて脆弱な労働政策下、日本はサブプライムローンに端を発するリーマンショックという世界不況の爆風を正面から受けることになりました。派遣労働に従事する人々が次々と解雇されましたが、その人々を支える福祉制度は存在しませんでした。その結果、失業が即居住の喪失につながるという事態となりました。しかし、これらの不況はそれまで野宿し暮らしていた人々の上を、相対的に素通りしたと言えます。

 このとき、多くの社会運動体が共同して、生活保護のまともな運用を強力に求めました。それまで、日雇い労働者や野宿者が生活保護制度から排除されることを黙殺してきた国家も、リーマンショックで生み出された大量の失業者の存在を無視することはできませんでした。ここにきて、運動に押し上げられながら、生活保護制度の運用が大きく変更され、貧困を理由とした給付が行われるようになったのです。このような福祉制度の運用の変化は、社会が大きな変動にさらされた際に行われてきました。そこには治安対策という面もありました。

 現在、日本社会では、こうして一旦拡大した生活保護制度の運用に対する反動に満ちています。ほんの一部でしかない不正受給の実態を誇大に強調する、受給に対するバッシング、受給者に対しスティグマを付与する、ということが大手のマスコミを通じて堂々と行われ、生活保護窓口での嫌がらせや申請の妨害も後をたちません。このような中、生活保護費の引き下げが、支給額の評価の正当な手続きを抜きにして強行されようとしています。

 生活保護制度に対する攻撃が行われるのと同時に、生活保護制度自身は野宿者排除の道具としても使われるようになりました。野宿する人々に対しては、生活保護制度は依然として差別的な運用が行われています。窓口で追い返されることも多く、たとえ申請が受け付けられたとしても、野宿者専用の悪質な民間施設での生活を強制されます。そのような施設の経営者と行政は結託しているのです。しかし、都市の再開発が進む中、公園や河川敷の「環境浄化」のための排除を行う際には、そこにある野宿の小屋に対して、排除の受け皿として生活保護が準備されることが多くあります。まともな条件(アパートでの生活:居宅保護)での生活保護給付と引換えに、小屋の放棄を行政が求めるのです。典型的なアメとムチの方法です。

 東京東部地域ではいま、都市の再開発が行われています。2012年5月に開業したスカイツリーという、とても高い電波塔は観光スポットとして喧伝され、大規模な商業施設が併設されています。その建設に伴って、周辺地域では野宿者の追い出しが進みました。近くの隅田川では、区職員の排除により、それまで暮らしていた場所から追い出された野宿者が数日後に水死体で発見されるという事件も起こりました。竪川河川敷公園の改修工事も、このスカイツリー再開発と結びついて構想されています。改修工事後の公園には、有料のカヌーカヤック場やフットサル場が作られました。フットサル場の料金は1時間1万円です。また公園は夜間封鎖されるというゲーテッドシティ的な運用です。その中で度を越して激しい野宿者排除が執拗に繰り替えされているのが竪川河川敷公園です。

 竪川河川敷公園では、このような排除と4年越しのたたかいを続けています。そこで暮らし野宿する人々は、長い人で20年近く公園で暮らしてきました。多くの人が日雇いの仕事をしたり、アルミ缶や古紙を集めるリサイクルの仕事をしたりして生活しています。公園の改修工事以前、行政(江東区)は生活保護についての周知や勧誘を一切行ってきませんでした。そんな中、20年もの間、貧者が自らで小屋をたてて命を守り、仕事を見つけ、相互扶助的なつながりによって命を守ってきたのです。ですので、追い出しの受け皿としての生活保護に批判的な人が多いです(もちろん、生活保護を希望する人については支援団体が申請の応援をしてきています)。
 
 しかし、それだけではありません。公共地に貧者が集団で暮らすようになって約20年。その中で蓄積されてきた(リサイクルなどの)仕事や生活様式などの生活の総体は、社会の下層での労働・暮らしと密接に関係しています。そこで編み上げられてきた抵抗の様式のあらわれとして、野宿の暮らしはあります。それは、貧者が自らの生存を、権力者に依存することなく維持するためのギリギリの闘争であり、それを通して人間としての誇りを持ちつづけるための作法です。このたたかいを通して、私たちは世界の仲間とつながりたいと思っています。どうぞよろしくお願いいたします。

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