山谷ブログ-野宿者・失業者運動報告-

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zoom RSS 上野公園約20年前

<<   作成日時 : 2013/03/07 01:12   >>

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上野での毛布配りパトロールにちなんで、約20年前の上野公園の様子を聞き書きしました。Aさんは、当時上野公園に集まっていたイラン人の労働運動の支援(っていうのかな)をされてたんですけど、そのころのお話です。

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----約20年前、イランやビルマからの移住労働者が上野公園や代々木公園に多く集まっていた時期があったということですが、そのころのことについてうかがいたいと思います。

【上野公園に、イランからの人々を中心に移住労働者が集まるようになったのは、いつ頃からでしょうか?】

湾岸戦争が91年で、そのあとだね。目に見えて増えてきたのは。ほら、成田から一番最初に届くっていうか、着くのが上野で、例えば仕事を紹介するっていう約束をして、例えば友達を介してとかなんだけど、むこうでいくらかの手数料かなんかを払って来るわけだけど。約束した相手はいない、お金は戻ってこない、そういうのが多かったね。それから、働いたけど賃金がもらえないとかそういうのですね。

【一日中そういうかんじで?寝泊まりも?】

寝泊まりもしてたのよ。

【イラン人が、上野公園で。。。】

行き先もないからね。

【場所は?】

石段があるでしょ、西郷さんから降りてくる。その近くでシシカバブとかイランの歌のCDとか。グッズとか売ってた。主に日曜日かな。平日は仕事をしたりしてるから、日曜日になると集まってきてて、すごい賑わっててね。数え切れないくらい、あのへんぎっしり人が。そこでそういう仕事などの相談があって。

最初に私が行ったのが土曜日のパトロールで、一緒にいったら、あちこちに人がいて。

たまたま、どうして知り合ったんだか覚えてないんだけど、とある清掃会社で働いてたイラン人がいるの。その人が、日本語がなぜか非常にうまくてね。その人が通訳してくれたのよ。だから相談がいっぱいきたわけ。いま成田から着いたって人は、日本語はもちろんわからないし、英語もわからないし、共通語がなかったし、Mさんっていったんだけど、その人がいなかったらできなかった。同じ清掃会社に働いていた知り合いを通じて、上野のパトロールに参加してくれて、それが土曜日。月曜日の在ア共の会議にも来てくれて。月曜日に、相談を受けてたの。雇用先と交渉するって時には、いろんな話をちゃんと聞かなきゃならないわけで。それで山谷労働者福祉会館に来てもらって。多いときは、山谷労働者福祉会館の3Fがあふれるくらい。

それで、代々木公園もそんなふうでね、原宿の駅から明治神宮にいくあたりが広場になってるんだけど、そこに集まってて。CDだとかシシカバブだとか売ってて。

そのうちだんだん摘発が厳しくなってきて、デモをやったの。いのけんが呼びかけて。イラン人も途中から隊列に入ってきて、原宿の駅前で、「追い出しをやめろ」みたいなかんじで、一緒になってシュプレをあげたりして、そういう光景があったのよね。

【みんなどういう仕事してたんですか?】

あの、飲食店とかね。あとちょっと都心から離れた工場。プレス工とか。飲食店がわりと多かったかな。

【相談の内容もそういう仕事がらみの相談がやはり多かったですか?】

うん。

【公園で寝泊まりしてる人もかなりいたんですか?】

かなりいたと思う。

【小屋がけしてるひとも?】

小屋は、、、、小屋はどうかな?あの、公園のあちこちにたむろしてて、あんまり小屋までは作ってなかったかな。。。

印象に残ってるのは、越年期にさ、その頃は上野公園にも雑炊みたいなのを作って持っていってたことがあって、山谷からだけでなくて、外国人の支援をしてる団体が一緒になって越年機に上野公園で炊き出しをやろうってのがあって、あれは何年だったかな、92年か3年だったと思うけど。

いつもみんながお店を出してる階段のところで炊き出しをやろうとしたら、すごい怒られて。「自分たちは物乞いじゃない」って、「人から恵んでほしくない」って、かなり強い調子で拒否されたことがあったのね。もちろん、食べた人もいたよ。みんながみんなそうじゃあなかったけど。あんまりそういうふうに拒絶されたことはなかったもんだから、印象に残ってる。こちらの態度も問題だったのかもしれないんだけどね。

【上野でも摘発とか、だんだん厳しくなっていくということですけど、どういうふうな形で行われたんでしょうか。制服警官が公園の中に入ってくるような?】

そう、突然くるんだよね。職質っていうより、手当たり次第っていうか。いちい
ち確かめないで。

【それで、ビザのこととかで摘発があるわけですか?】

もちろん、みんな不許可滞在だよ。まともにビザを持ってる人なんてほとんどいなかったんだから。

【入管でもないのに、そんなことできるんでしたっけ?】

結局、入管が依頼してってことに。

【そうやって摘発があると、その先は手続きは入管ですか?】

結局、入管法違反っていうことになるんで。不法滞在っていうのは。はじめのうちは裁判にもならずに、そのまま送還される場合が多かったんだけど。人数も多かったもんだから。そのうち、起訴されて、形だけだけど裁判やって、その上で返すっていうふうに変わってきたの。

Mさん、さっき言ったMさんも、渋谷のほうでも通訳とかやってて、警察(入管)に睨まれてたのかもしれないね、そのあとアパートに踏み込まれて、逮捕されて、送還されてっていうことになったんだけどね。私も入管にも面会にいったりしたけどね。

他にも相談活動に協力してくれた人は他にもいたから、そういう人達も最終的には送還されたんだけど。日本人の女性と結婚して、いまも、家族と一緒に住んでる人もいるけど。

それで、次々と入管法が改悪されて。一度戻ったら、こちらに来れないような形に。自分で出頭して帰るぶんには、そんなに長くはないんだけど、捕まって送還されると10年は日本にこれなくなってるんだよね、今は。

【その当時、いわゆる不法滞在じゃない人は、(上野には)ほとんどいなかったってことでしょうか。】

もう、いなかったね。もちろん、別の世界にはいたと思うよ。でも上野公園に集まっているイラン人は、右見ても左見ても、みんな。それが当たり前だったのよ。入管も見ても見ぬふり、黙認してたわけでしょ。

【労働力が必要だったっていうことですよね。】

そうそう、要請もあったってことだし。労働力としてどんどん入ってきて、人手のない中小零細の工場とかで働く、そういうのを黙認してたわけ。だから、みんな、入管法違反とか、法律違反しているっていう意識もまるでなくてさ、あったり前のように普通に働いて普通に暮らしてるっていう。

【不法滞在っていうとものものしい感じがするけど、具体的にいうと観光ビザで日本に来て、それが切れるってことでしょうか。】

3ヶ月だからね。

【でも、運動と一緒に動くと、当然むこう(警察・入管)に睨まれて送還されちゃうんじゃないかっていうのをわかった上で一緒にやってたってことなんでしょうか。そのあたりはしんどいことでもあると思うんですが。】

あんまり、わりとこう、良くいうとおおらかっていうか、悪くいうといいかげんっていうか。いちいちそんなの、「捕まるんじゃないか」ってことまで考えてられないっていうところだったみたい、本人たちは。こっちはもちろん気にするんだけど。

だって、本人たちは、悪いことしてると思ってないから。ただビザがないっていうだけの話でね。それがどうしたのっていう感じなわけよ、本当に。おおらかで、あんまり捕まるっていうことが、実感としてなかったみたいね。

だんだん捕まりはじめると、だんだんヤバいなっていうのが、感じとしてはあっても、でも、みんなが、つまり、まわり見てもみんながオーバーステイだったらさ、自分だけじゃないから、危機感みたいのがないのよね。

そうすると、こっちもそういう気になって、これが当たり前だよなっていうふうに。いい意味で。つまり、なんでビザがないってだけで日本にいちゃいけないのかっていうふうに。

だから当時は、たとえば労災にあったり賃金不払いにあったり、そういうので会社と交渉しても、労基署にいっても。。。。

【オーバステイの状態で?】

そうそう。労基署の場合は、一応、通報義務ってのがあるらしいんだけど、私の知る限りでは、一件も通報なかったね。

******** 以上前半でした **********

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